『自然豊かな環境で、子供たちが健やかに過ごせるように』
 生徒手帳によれば、創設者達はそんな想いでこの学園を建てたらしい。
 浅間学園は、その想いを律儀に体現しており。確かにド山中に建っていた。

 考えてみれば厳しい所なのかもしれない。小学校の部から始まる私立学校。
 強制ではないのだが、近い街に行くのにすら車かバイクが必要な立地な為、生徒も教師もほぼ全寮制。
 近いところに部落は二、三あるが田舎の手本なくらい田舎だし。俗世から離れたような世界だった。
 …と言うか、離れている世界だ。
(変な所だ…。)
 漆黒の目を持つ少年はそれを斜に構え、睨むよう寮の窓から空を見据える。
 本当に必要最低限の備品しかない殺風景な部屋も、外からの彩りで少しだけマシに感じた。
 こんな不便極まりない高校ではあったが、彼は自分から選んでこの高校に入ったのだった。
 彼にとって学校などドコでも良かった。
 あの場所から離れることが出来れば。あの人から離れることが出来れば…。
(お袋の死に目にも顔を出さず、俺と姉さんを放置してきた、あいつから…!)

「失礼するよ。…空を見ているのかい?」
 声が聞こえた。ギクリとして(表情には出さないが)、振り返る。
 そこには、自分と同い年であろう、詰め襟制服の男が立っていた。
 大地色の髪と青海色の瞳。無駄のない体つきは溌剌とした好印象を与える。
 今まで見たこともないくらい真っ直ぐな瞳はこちらに向かって、微笑んだ。
「初めまして。今日から同じ寮で暮らすことになった、流竜馬です。」
 ただ面食らって突っ立ってしまった。流と名乗った男は少し考えてこう聞いた。
「君の名前は?」


■夕日が沈んで帰る頃■ 

 …浅間学園がほぼ全寮制である事を疎んでないと言えば嘘になる。
 だが、そんなに大した問題じゃねぇと思っていた。
 俺は好んで他人と行動しないタチだし、他人もそれを察して近寄っては来なかった。
 それでも来るなら勝手に来ればいい、惚れるも疎むも御勝手に。全て俺には関係ない。
 お袋が死んでから生き方のスタンスはこうだったから。別にどうとも思わなかった。
 寮だって自分のテリトリーさえあれば後はどうだって良かった。何も問題は無かった…
 筈なのだが、何故かここに来てから、やかましい事にばかり遭う。
 何なんだ、一体。

 原因は同じ寮生の二人組だ。何とクラスまで一緒だったりする。…勘弁してくれ。
 一人は最初に会った、流竜馬。茶発碧眼でありながら日本男児の手本のような奴。
 そして巴武蔵という、これまた別の意味で古き日本男児の手本のような豪快な三枚目。
 この二人は気が合うのか、よく喋る。今日の出来事、部活の相談。…家族の話。
 雑なBGMみたいに喋るのは別に良い。問題は俺を巻き込む事だ。
 寮で一緒なせいか遠慮がない。意図的につっぱねてみても鈍いのかまるで効果がない。
「神!!」
 …考えている端からもうそうだ。
 授業が終わり、屋上にでも行くかと考えていた俺の元に、見慣れた男が飛び出してきた。
「なぁ、また外でボケーっとするだけなんだろう?サッカー部観に来てくれよ!」
 軽く聞き流すだけなのだが、それでもこいつは臆することなく、俺に話しかける。
「体育の授業で見ているんだぞ、お前凄いじゃないか!何で運動部に入らないんだ?」
「……。」
 確かに俺は一通りやろうと思えば何でも出来た。
 知らないものでも一度見れば憶える、再現すれば形になる。
 少し続ければすぐに達者にこなすことが出来た。
 スポーツ関係でも例外ではなく、ここに来た初めの頃は熱心に勧誘を受けたものだ。
 みんな冷たく蹴ったが。
 そう、皆蹴ったんだ…。
 なのに何故こいつは何回も何回も来るのだろう。
 いくら冷たくしても熱心に勧誘してくるこいつを、呆れたものでも見るように眺めた。

 こいつは馬鹿だな。
 サッカーはチームプレイだろう。
 俺を入れてどうするつもりだ。上手く行かないに決まっている。
 俺はお前ほど馬鹿じゃない。お人好しでもなければ社交的でもない。
 …気付いていないのか?
 お前は放課後の度に俺を誘うが、その様子を部員達がどう見ているのか。
 頼むから連れて来ないでくれと目が言っているだろう。協調の輪が崩れると。
 …お前は、優しさも人望も能力もあるが、周りを見渡せる力は無いんだな。
「勿体ないぞ。能力があるのなら役立てて延ばそうと考えないのか?なっ!」
 こいつはこいつなりに俺の事を心配しているのだろうが、余計過ぎるお世話だ。
 じっと相手を無表情に眺めていたが、そのうちフイと目を逸らす。
「神!」
 まだ話は終わってないよ!と嫌でも伝わる声だった。終わらないから放棄したんだろ。
 後ろから俺を引っ張るような声がまだ聞こえたが、それも段々遠ざかり、もう離れ…
「じ〜ん〜!!」
 …と思いきやまた来た。流の後ろから聞こえる、どかどかと俺を追いかける足音が…。
 今度はサッカー部の方の馬鹿じゃなくて、柔道部の方の馬鹿だ。
 嗚呼やかましい、頼むから一人にさせてくれ。寧ろお願いします。
 …と言いたかったが、俺のキャラじゃないから、言えなかった。面倒臭い。
 そしてついさっきまでと同じ展開を、もう一度繰り返すハメになった…。
 こいつらが学習能力の無い馬鹿なら、解っていながら付き合う俺も馬鹿なのだろうか?

 あいつらといると調子が狂う。
 何が起きるかまるで検討がつかない。
 思うようにならない不快さと、先が読めない新鮮さ。
 他人と接していると、こうも世界が変わるのか。



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「おかえり。」
 夜遅く、寮へ帰れば。そう言って顔だけ振り向いて流が笑う。
 それだけ済まして、こいつは机に再び向かった。
 学校ではあれだけやかましいが、寮だと一転して静かな奴だった。
 勿論、ムサシなんかがが何かすれば反応するし質問すれば答えるが…。
 学校の時と比べ快活さより穏やかさの方が増している。ここが落ち着ける場所なのか。
 宿題をした後、復習して予習をする。そしてこいつはそれを当然だと思っている。
 ご熱心な勤勉家だ。
 こいつは中学の部からここにいるらしい、その人気ぶりは俺でも知っている。
 学業は総合TOP、部活での活躍も目ざましく、礼儀を知り仲間を重んじる性格。
 クラスや学年のリーダー的存在であり学校の模範、ホープだった。
 周りの人間はこいつを頼り、大人らしい子、頭が良い生徒と褒める。
 そういう意味で天才だと思うが、こいつほど天才という言葉が似合わない天才も珍しい。
 隠しも見せびらかしもしないで、周りと切磋琢磨している姿がそう思わせるのだろうか。
「…?何を突っ立っているんだい。」
 変な人、と笑って言わんばかりに困ったような表情で俺を見る。
「神はいつも、俺たちを見ては突っ立っているんだね。ムサシもそう言ってたよ。」
 この言葉を聞いて、いつも燻っている感情がふいと鮮明に溢れた。
「何か言ったらどうだよ」
「…ハヤト、だ。」
「…は?」
 リョウはオカシイものでも見るような目でハヤトを見た。
「神、じゃなくてハヤトで良い。苗字は好きじゃないんでな…。」
「ああ、そうなんだ。」
 じゃあ、とリョウは頭に手を置いて、また一言。
「ハヤト。」
 …自分で言ったはずなのに、そう呼ばれてハヤトは少し驚いた。
 名前を姉さん以外の人に呼ばれたのは、もうどれくらい昔の話だろうか。
 …母さんが死んだときからだろうか?
「…ハヤト?」
 そのまま考え事をしていた俺を、やや気味悪がりながら、リョウはもう一度俺の名を呼んだ。
「…何でもない。なが……、…リョウ」
 ままごとみたいだ。そう思った。
 名前で呼んでくれと頼んだのは、俺のほうだと言うのに。



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 あいつらには何言っても無駄だった。遠まわしに言っても通じない。
 これなら通じるだろうと思っても解ってなくて、その度に頭痛と腹痛で眩暈がする。
 だがそれで付き合いが各別変わるというわけではなかった。避けていたという方が正しい。
 その状態が変わったのは、ほんの些細なことだった。
 何でこうなったのか、思い出すのも馬鹿馬鹿しくて、自転車置き場に背を預け。
 周りに群がるいかにも自尊心一杯なガサツな生徒達を見上げる。
 見たところ、数名は上級生のようだ…。
 俺は喉元だけで舌打ちをしながら、気怠そうにリーダー格の相手を見やる。
 こいつも馬鹿だな、敵う訳無いのに、面子と怒りだけで向かってくるのか。
 敵わない事を解っていながら、それを認めたくないから、数で誤魔化して叩きたい。
 痛い目に遭わせたいんだよな、一杯喰わせて見たいんだろう?
 …嗚呼。
 どこにいっても、この視線はまとわりつくんだな…。
 急に可笑しくなった。
 相手達が何を言っているのか、乱雑でとても理解が出来るものじゃなかった。

 何でも出来るからって、調子に乗っているんじゃないぞ

(そうだな、確かにその通りだろうよ。)

 そう…何でも出来た。
 天才、神童。周りはそうやって囃し立ててきた気がする。
 権力も財力もある親、何不自由無い環境。確かに「物」は望めば手に入ってきた。
『何の苦しみも知らずに育って、うらやましい子ね―。』
 語尾が上がって延びてゆく、典型的な皮肉の口調。
 影に隠れているのは、怒涛のような負の言葉。
 それは不意だったり常だったり、中には堂々と吐いてくる奴まで居たか。

 子供らしくない
 可愛げがない
 協調性がない
 自惚れている
 笑うこともしない

 傲慢な子だ

 いい気になっているんじゃない。


 …いい気、ってどんな気分なんだろうな?


 小さい頃から叩きつけられてきた言葉。
 昔はそれでも傷ついたのだろうか?それすらもよく覚えていない。
 だが今は淡々と何事もなく受け止められる。
 あの親父のお陰だろうな…それくらいしか、あいつに感謝するところはないんだが。
 …母さん、母さんは、どうだった?母さんはどう見ていただろうか?

『…ハヤト…。』

「「ハヤトッ!!」」
 がんがらがらどしゃん!!ばくんっ!
「はぁ!?」
「なっ…!」
 いきなり来た人間台風達にこいつらはざわつきながら困惑している。
 最後のばくんとは勢い余って自転車置き場のフェンスにぶち当たった音だ。誰かは省略。
 もう一人が必死にそいつを抱えあげようと努力している。端から見れば只のコントだ。
「……。」
 俺も表情には出さないがかなり動揺した。もう呆れ果て声も出ない。…何をしに来た?
「大丈夫だとは思うが大丈夫か!?逆にリンチ返していないだろうな!?」
「怒られそうだが来てやったぞ!まず怒る前にありがたがりやがれ!」
 訳の解らん言葉を撒き散らしながら、もう嫌と言うほど見慣れた顔が飛び出した。
 リョウとムサシだ。明確にここに現れたところを見ると、誰かから聞いたのだろう。
 格好良い正義のポーズを思案しているムサシをさしおいて、リョウは奴等を確認する。
「何をしているんだ!人に文句があるのならこんな陰湿な方法じゃなくて、……」
 リョウが粗暴なこいつらの顔を見て、ざぁっと顔に困惑の色が帯びた。
「……先輩…?」
 そんな奴の表情を見て、嘲る気持ちと、可哀相になと思う気持ちが湧き上がる。
 …気付いたか?本当に悪い人間などこの世に居ないと思ってる善人さん?
 悲しい色をした青海色の瞳はじっとこいつらを見つめる。…同じ部の仲間達を。
 やがて強く目を閉じ、ゆっくりと相手を睨みつける。どこまでも真っ直ぐに相手を責めつける。
「何をしようとしたんだい…!?こんなこと、部がどうなるか…」
「あんまり苛めるんじゃねえよ。お前みてぇな奴に問い詰められると腹が立つからな…!」
 言うか言わないかの内に、俺は手を振りかざした。
「ハヤ…!」
 鈍く叩きつけられた音が、俺に非難を浴びせようとしたらしいリョウの声を凍らせる。
 素早く俺に顔を殴られた奴は、軽く血を吹きながら倒れた。意図せず頬がつり上がった。
「気に入らなかったんだろうさ、俺が。」
 なるべくゆっくりと、他の馬鹿共を見やる。そうなんだろ?と口元だけで確認する。
 リーダー格をぶちのめし、後は笑えば良いんだ。そうすれば残りは烏合の衆、何も出来やしない。
 案の定、今回も恐怖の表情を浮かべながら他の奴等は逃げていった。思わず失笑が漏れる。
 壁を曲がり見えなくなった所で手首の間接を軽く鳴らしてみる。パキリと軋む音がした。
「………。」
 そして何事もなく去れば終わるんだ。なのに今日はいらないゲストが居る。
 腹が立つ、見られたくないもの全てを見透かされた気がする。気分が騒いで気持ち悪い。
「…別に、これくらい何てことない。…何しに来たんだ?何のつもりだ?」
 それらを無理矢理押さえつけ、声を落として尋ねる。その結果必要以上に冷たく響いた。
「ちょろちょろと余計なお世話なんだ…」
 ばっしゃーん…!!
「……よ。」
 体が一気に重たくなる。服や髪がまとわりつき水がまんべんなく滴ってきた。
 知らん女からバケツで水をぶちかけられたと判断するのには、少し時間が掛かった。
 暖かい茶色の髪はバンダナで括られ、大きい目はじぃっとこっちを睨みつける。
「何よ!折角あなたの事を心配してやってきた人間に対して言う言葉がそれだけなの!?」
 その犯行者は今まで殆ど話したことない男子生徒を相手に、一丁前に説教をし出した。
「ミ…ミチルさん。」
「黙っててよリョウ君!こういうどーしよーもない人は8回くらいお灸を据えなきゃ駄目よ!」
 どうも本気で怒っているらしい。眉を目一杯吊り上げてキンキン声でよく喋る。
「理由なんか無いの!たまたま怖い人に囲まれてる現場を見て、たまたまそれがハヤト君で、」
 ばっと二人の方に腕を広げる。その動きが何故か綺麗に見え、つい目を止めた。
「たまたま私がその所を見て、たまたま助けを求めたのがリョウ君とムサシ君だったの!」
 その瞬間、目の前に突き出された指。咄嗟に驚いた表情が出ないよう繕う一苦労だった。
「大体ねぇ、誰かが危険な目に合うかもしれないって場所を見て、助けに行かない方が変よ!」
「な…」
「それが解らないなんて変わってる人ね!まるで無理に変わってる人になりたいって感じだわ!」
 …何だこの女は。
「そんなことしなくても、あなたなんか十〜分!変わっているから心配しなくて平気よっ!」
 言うだけ言ってぷいっと横を向く。この気の強さが尋常じゃない。
「ほーんと、リョウ君から聞いていたけど、変わっているのね。ハヤト君て!」
「まぁまぁ、そんな奴は放っておいてこの延びてる人引っ張って先生の所に行きましょうよ。」
「ハヤトが退治したとは言え、起きた事実はちゃんとした方が良いしね。」
 部のためにも…とリョウは小さく付け足したが、聞かないふりをした。
「それにハヤトだって思いっきりコイツ殴っちゃったしなぁ…白黒決めないとややこしくなるぜ。」
 先公に言ってどうなるというんだと強く感じるのだが、それもまたこの女が察したらしい。
「全然余裕がないのに平気な顔して余裕ぶるのまで好きなのね。」
 と言ったかと思えばこちらの手首を掴んで話さない。そのまま先公の所まで引きずる気らしい。
 ふざけるな、と言う事も敵わず、ただずるずると引っ張られていった。
「先生驚くぜー、こんなデッカイ上級生持って行ったら。」
 わらわらと二人も面白がってついて来る。放課後であるから回りの視線が肌に染みて痛い。
 …というか恥ずかしい。どういうグループに見られているんだろうか…。
 ……ここまで人の目線が怖く感じたのは始めてだ。


 俺は目の前のミチルとかいう女と、振り向いて笑っているリョウとムサシを見やった。
 こいつらは馬鹿だ。阿呆だ。どうしようもなく短絡的で、お人好しで、周りを見ないで…。

 だか、気が付いたら、俺もその中に巻き込まれている。


『ハヤト…』
 あの時、母さんの声が聞こえたと思ったのは、只の幻聴だ。
 そう考えないと、何かに縋ろうとしたということを認める気がして癪だった。
 ぼんやりしてると、まだ怒りが収まらないらしい女生徒がこっちを振り返る。
 ………。
 何だか母さんを彷彿させられたが、母さんに失礼だと思うのでこっちは幻覚にした。




 あいつらと居ると調子が狂う。こっちの思うように上手く動けない。
 普段は単純で馬鹿のくせに、ここ一番という時には虚を突いた行動ばかりする。
 こちらばかりが驚かされているようで腹が立つ。何か切り返せないだろうか。
 いつからか、そんなことを考えるようになった。




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「やぁーいつも悪いな〜リョウ。流石に高等部になったら部活も厳しくなってよ〜。」
「…全く。いつもいつもお前を乗せて登下校するとガソリンの減りが早くて困るよ。」
 もう夕日は沈んでしまい、どっぷりとは言わないが薄暗い。
 大会が近い運動部の二人組は延長された部活をこなして寮に帰って来た。
 バイクの鍵をかけるリョウを、サッカーボールを転がしながらムサシは待っていた。
「そーんなこと言ってまた〜。サイドカーの隣に誰もいなけりゃ淋しいもんだろ〜??」
「…今度ふりおとしてあげようか?それとも突っ切ってあげようか?なぁムサシくん?」
 にっこり♪と曇り一点もない笑顔をこちらに向けられる。ムサシはゾクリとした。
「お前、そうニコヤカ〜にされると俺おっかないんだけど。…っと、あ、あれ?」
 普段と何か違うことにムサシが気付き声を上げる。リョウはムサシの目先を追って言った。
「…部屋の電気、ついているな。ハヤト帰ってきてるんだろうか?」
「まっさかーあいつはいつも学食ギリッギリに帰ってくるぜ?こんな早くに居る訳…」
「じゃあお前が電気消し忘れたのか。何て奴だ。資源は大切にしろって言ってる…」
「ああじゃあほらハヤトが帰って来たんだって絶対そうだアイツだってそういう日が…」
「はいはい、解った解った。行けば解るんだから、そんな慌てるな。」
 階段を上がり質素なアパートみたいな寮を登る。廊下を通って部屋に行き扉を開ける。
 鍵はかかっていなかった。そこには想像どおりハヤトが居た。
 ハヤトはこちらを見ると、しばらく考え込んだようにして、やがて一言。
「…おかえり。」
「「………!!??」」
 ボツン、とリョウが持ってきたボールが勢いよく跳ねた。
 そのままポテポテと廊下をハネ進み、階段の所でまた勢いをつけて跳ねたのだろう。
 周りが静かなのも手伝って、遠くにも関わらず跳ねる音がよく聞こえる。
ぽてーん、 ぽてーん、  ぽてーん、   ぽて…
 マヌケ顔を晒しながら呆然と玄関先に突っ立っている寮生二人。
 リョウとムサシの心境効果音としては、中々に合っている味のある音だった。
 ムサシなんかはそのままガクンと、何もないのに、こけた。
「ど、どどどっ、どどっ、ど…」
「………………な、な…?」
「……何だ?」
 少しムスっとした感じでハヤトが言う。心無しか照れ臭そうに目が少し泳いでいた。
 ありえない。ハヤトが自分達より早く寮に帰っていて、
 しかもこちらを向いて挨拶しているなんて…今まで見たことがなかった。
 ついでにいうと照れ臭そうというか表情ぽい表情も見たことがなかった。
 知らない事ずくめが不意に一気に起きたのだ、驚かずにはいられない。
 ぼそりと、だがハッキリと聞こえたそのハヤトの声は、よく響いた。
「帰って来た人間に俺が挨拶するのは、そんなに変か?」
「あ…いや、そうだけどよ…。」
「いや…そうだね、少し驚いて。ごめんな、ハヤト…。」
「……ま、別に良いがな。」
 少し拗ねたのだろうか、プイとそっぽを向いて、窓際に座る。
 いつものハヤトだ。いつものハヤトなんだか…妙に幼くて、失礼だが微笑ましい。
「………。」
 沈黙が、らしくもなく痛くなったのか、ハヤトはハーモニカを取り出し口にあてる。
「ハヤト、」
 その時同じ寮生から声がかかり、ふとその行為を止める。
 彼らは、困惑した色を少し帯びながら、それでも嬉しさが勝ったように、言った。

「ただいま。」
「帰って来たよ。」


 夕日が沈んで帰る頃。
 …ハヤトはゆっくりと、目を閉じた。





*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*


 『狂言奇語2』の真継さんから頂きました。
 ありがとうございます!!なんて素敵なお話でしょう!!
 私の好きな浅間学園時代のエピソード、とのリクエストに、私の好きな隼人の視点からの「出会い」を書いて頂いて、もう、嬉しすぎです。
 わたしには到底書けない、優しい穏やかな情景です。この空気に憧れるんですよ、私。
 自分には無理なので、おねだりして書いていただきました。本当にありがとうございます。


                  (2004.10.9)