流転現象2

 

未来を変える。

それは口で言うだけなら、簡単だがそれは途方もないことだ。

隼人にだってそんなことはわかりきっていた。

しかし可能性を見た時、止まる理由などなかった。

偶然としては出来すぎている。

いや、偶然ではありえない。

だが自分をここに導いた『何か』は、何故今になってこのようなことをしたのか。

一度は奪ったくせに。

何故今更。

考えたところで結論は出ない。

ならば隼人は行動するだけ。

以前のような後悔をしないように。

「・・で、具体的にどうするんだよ?」

隼人の途方もない、しかし真剣な呼びかけに竜馬は軽く問いただした。

その驚きが消えた猫科の肉食獣を想わせる双眸が楽しげにきらめいている。

まるでこれから起こる闘争を期待しているかのような物騒な目つきだ。

彼に限っての事ではないが、ゲッターチームは好戦的な傾向が強い。

けっして命を粗末にしているわけでも、嗜虐心が強いわけでもない。

自らの命をかけても惜しくないことに向き合っているから楽しい。

それだけのことだ。

だからこの場合も危険など最初から念頭に置いていないかのように、説明を促すことが出来る。

「俺は細かいことなんて知らねぇかんな。どうするかはお前考えろよ」

「あ、ああ」

それは必然的な流れだったはずだが、隼人は少し戸惑ったように頷いた。

まるで何か慣れないことを振られたかのような反応に竜馬の方が面を食らう。

随分と『らしくない』応じ方だ。

「?どうした」

「・・・・・・いや」

隼人はなんでもないと答えようと思ったが、先ほどした約束を思い出し苦笑する。

どうやら本音を隠すのが癖になってしまっているらしい。

だから少しだけ意識して正直に吐露した。

「誰かと話しながら何かを考えるなんて随分久しぶりだと思ってな」

「・・・・・・・・・・」

一瞬竜馬の顔が強張る。

だがすぐに似合わない表情を拭って、悪戯っぽく口の端を持ち上げた。

「感傷に浸ってねぇでさっさと考えろよ、頭脳労働者」

「了解した、肉体労働者」

ふたりは悪巧みでもするかのように笑い合う。

妙に子供じみたところがある青年と妙に老成した青年は、そうしていると双方同じくらい幼く見えて同い年だと言われても納得できる。

会話の内容は別として、その姿は幼馴染同士がバーベキューの企画でも考えているかのように微笑ましい。

そうした後、稀代の万能人は鋭利な曲線を描く顎に指を当て、頭脳を回転させた。

そして竜馬が待つこと数分。

隼人がようやく顔を上げた。

「まずは早乙女博士とミチルさんへの寄生を防ぐことが最優先事項だ。おそらくそれさえ出来れば未来が変わるはずだ」

「おう」

全ての始まりさえ変えれば未来は変えられる。

それは自明の理だ。

だがそこでふと隼人の言葉尻が気になった。

「なあ、隼人。『はず』ってのは?」

この冷静沈着を絵に描いたような青年は滅多なことでは断定はしない。

いくら確率で100パーセントでも、イレギュラーによって崩されることなど珍しくないからだ。

しかし気になった。

博士やミチルが助かっても未来が変わらないなどあるのだろうか?

その問いに隼人は落ち着いた様子を崩さず、逆に問い返す。

「『パラドクス』って知ってるか?」

「?パラ(弾丸)と靴?」

なんだそりゃ。

聞いてこともない。

隼人はその反応を予測していたのか、笑うこともなく解説を加える。

「パラドクスは簡単に言うと矛盾のことだ。この場合はタイムパラドクスを指す」

「??」

そう言われてもわからない。

別に竜馬は頭が悪いわけではないが、知らないことがわかるはずはない。

その戸惑った表情を見て、隼人は子供に教えるようにやんわりと説明した。

「例えば、だ。タイムマシンが出来る出来ないでもめた時に必ず持ち上がる議論にこんなものがある」

細長い指を竜馬よりは薄い胸に向ける。

「もし俺がタイムマシンに乗って俺の親が子供の時にでも行ったとしよう。そして俺が親_まあ別にどっちでもいいんだが仮に父親とでもしておこうか_を殺した場合どうなると思う?」

「ど、どうなるって。駄目だろ、親父さん殺しちゃ」

「あくまで例えばだ。どうなると思う?」

「そりゃーー・・・・・・お前が生まれネかったことに・・・・・・あれ?」

そこでようやく気付いたらしい。

この話の矛盾に。

「お前が生まれなかったのに、なんで殺せたんだ?」

「そう。そういう矛盾が発生するんだ」

隼人は満足そうに微笑んで頷いた。

だが何故かその笑みは見る者の目に哀しそうに映る。

それに気付いた竜馬が言及しようとするが、その間を与えず滑らかな口述が流れた。

「俺がもし俺の親を殺した場合、俺はいなかったことになる。では俺の親を殺したのは誰ということになるか?それがタイムパラドクス。時間旅行のさいに生じる矛盾だ」

「・・・・え〜と・・。それってつまり・・・ああ!!まどろっこしい!!何が言いたいんだよお前は!?説明略せ!」

竜馬はお世辞にも辛抱強いとは言えない。

ゲリラ戦や情報戦などはとことん肌に合わない性質なのだ。

それにただでさえ隼人は説明が長い。

いや、本人は順を追って話しているのだろうが、気が(極端に)短い人間にはなかなかつらいものがある。

美貌の天才はその粗雑な要求に例の笑みを留めたまま端的に断言した。

「俺達は大量殺人鬼になる」

「ああ?!」

思わず竜馬の声が裏返った。

どういう過程を省いたら、今までの話からいきなりそんな結論に行き着くのか。

そもそも大量殺人って。

「・・・どういうことだよ?」

「そのままの意味だ。故意に歴史を変えるということはそういうことなんだ」

隼人は奇妙に澄んだ表情をしていた。

それはどこかつらいものを見過ぎた老人のようにも見える。

これから起こるだろう全てを受け入れる覚悟のある顔だ。

「正確には直接的に手を下すわけじゃない。時間や時代という概念は人間が考え出したものだ。だから俺もはっきり言って理論だけで、前例がないからどうなるかはわからない。だが元からある流れを変えようとすれば確実に様々なことに派生していく。矛盾も生まれる。あの爆弾のせいで死ぬはず人間が生き残ったり、逆に生き残るはずの人間が俺達の行動によって死ぬ場合も十分にありえる」

世界は一枚岩ではない。

天文学的な事柄の重なりによって成立している。

ほんの僅かな干渉で劇的に変化することも十全なのだ。

「ミチルさん達を助けることだけじゃない。俺達がここに来た時点で歴史が変わった。俺は十六年前のこの日はお前に会わなかったんだからな」

「俺だって多分こんな時間に起きだしたりしてねぇよ」

竜馬はにやりと笑って、首をかしげて見せる。

それは童話の中に出てくる意地悪な猫のような、食えない顔だった。

「お前肝心なこと言わねぇようにしてるだろ。俺達が来たせいで助かる命もいっぱいあるってことを」

「それすらも保証されていない。俺にもこれからの展開なんて予測がつかないんだ。だが俺達はそれだけ大それたことをするということを言いたかった」

隼人はやや憮然として長い前髪をかき上げた。

気障な仕草だがこの男がやるとおそろしく様になる。

「希望的な観測をすればミチルさんと博士を助ければ元気ちゃんは自閉症にならず、武蔵も死なず、重陽子爆弾は発射されず、お前は十三年後に飛ばされず、俺は慣れない指揮官職なんかにつかなくてもいいことになるだろう。だがまず間違いなく全てが順調に進むはずも、全ての希望が叶うはずもない」

「お前、まず一番悪い結果から言うよな。それでよくタワーの連中の士気下がんなかったもんだぜ」

ゲッター1のメインパイロットは冗談めかしながら呆れたように口を曲げてみせる。

隼人は『慣れない』などと言っているが、彼は誰もが認めざる得ないほど優秀な指揮官だった。

だがそれは能力と必要性があったというだけで、本人としては別にやりたくてやっていたわけではないらしい。

豊かな声にやや苦味が帯びる。

「気休めや夢物語も場合によりけりだ。それで肩の力を抜くのも必要だが、危機感や真剣味を増すためには現実も報せる必要がある。だがお前相手に腹芸することもないだろう」

つまりは竜馬には気兼ねなく本音を言えると言いたいらしい。

この天才の名を体現したような青年にとって、真の意味で対等に付き合える人間はけっして多くはなかった。

理解者がいないということは孤独だ。

隼人は長くその中にいた。

その時は寂しいとも哀しいとも思っていなかった。

ただひたすらに退屈で。

満たされなかった。

だがゲッターによって仲間を得た。

それを自らの手で手放す選択をした時、彼はスを思ったのだろうか?

細長い指を組み合わせ、隼人は決意を込めて宣言した。

「俺はミチルさんや博士を死なせたくない」

「・・・・・・・・・・・・・」

「それによって犠牲が出ても俺はふたりを助ける。絶対にだ」

内側を突き破ろうとする激情を押し込めているために微かに声が震える。

そこに秘められた想いは深く、熱い。

「リョウ。さっきは手を貸せと言ったが・・・・・」

下りても構わない。

そう言おうとしたが、それは薄い口に上がることはなかった。

「俺はやるからな」

竜馬は隼人の気遣いを一蹴した。

稀代の万能人は驚いたように親友の顔を見る。

そこに迷いはなかった。

「俺だってふたりが大切だ。みすみすここまできて何もしねぇなんて願い下げだぜ」

口調は乱暴だったが、真剣な声だ。

もう二度とあんな経験はしたくはなかった。

仲間を失う悲しみも、失った者の嘆きを見ているだけしかできないという現実も。

「俺達は未来がわかる。これから起こる悲しいことを知ってる。だったらそれをどうにかしたいって考えるのは当たり前じゃねぇか」

竜馬は巌のような拳で隼人の胸を軽く小突いた。

その口に鰐のような不敵な笑みが刻まれる。

「らしくねぇぜ、隼人。失敗することばっか考えてたんじゃあ、いつまでも前に進めねぇだろが」

「・・・・・」

「お前はなんでも小難しく考えすぎなんだよ」

隼人はその以前と変わらない豪気な物言いに思わず微笑を漏らした。

本当にこの男は変わらない。

まるで今までのことなどなかったようだ。

それがひどく嬉しかったが、出てきたのは内面とは裏腹な憎まれ口だった。

「何も考えない奴に言われてもな」

「考えすぎて迷うよかマシだと思ってるぜ?」

親友の皮肉めいた物言いにこちらも負けじと言い返す。

竜馬の口元は弧を描いてはいたが、その目は驚くほど真摯だった。

こいつは優しい。

隼人は改めてそう思う。

おためごかしではなく、根源が優しいのである。

(俺は・・・こいつに甘えているのかもしれない)

いや、かもしれないではなくそうなのだろう。

どこかで竜馬が完全な敵にならないと信じている。

そして時折嫉妬している。

自分にない何かを当然のように持っていることに。

陶磁器で作られたような面差しに影が落ちる。

もしも彼が女に生まれていたならば、その憂いを晴らすために無数の男がなんでもするだろう。

だが竜馬にはただ腐れ縁の男が自虐的になっているだけだ。

細く筋肉の張られた肩を少々乱暴に叩くと、悪戯にでも誘うように愛嬌を見せる。

なんとも手間がかかる友人だが、大切な親友だ。

「覚悟があるならとにかく全力でやろうぜ。ひとりよりはふたりいた方がいいだろ?」

「・・・すまないな」

「何度も言わせるなよ。俺にとってもふたりは大切なんだ」

おどけるように両手を上げると、あっと短く声を上げた。

「わりぃ。話の腰折っちまったな」

「・・・いや、構わんさ」

そう言って隼人はコンテナから下りる。

「これから博士とミチルさんに細かい事情を話そうと思う」

「・・・・信じてもらえんのかね?」

実際体験した自分達はいいとして、普通の人間にはとても信じられることではないだろう。

さすがにあのふたりが頭から否定することはないだろうが、わかってもらえるかは大いに疑問だ。

それに彼らは自分が死ぬことを予言されることになるのである。

ショックを受けることは間違いないだろう。

美丈夫はきりりと眉を吊り上げて己の決意を表明した。

「隠密裏に話を進めるにはおおがかりすぎる。今現在寄生されていないことを確認するために検査も必要だしな。信じてもらえないならそれでも構わないさ。俺達ふたりだけの戦いになるだけだ。とにかく、ふたりへのインベーダーの寄生をなんとしても阻止しなくちゃいけない」

そのためにはどうしてもミチルさんの自殺のことについても説明しなくては。

それが彼女を傷つける結果になっても。

鋭く削られたねばたまの黒の中に強固な意思を読み取ったのだろう。

そのことについてはもう言及せず、竜馬は話題をずらす。

「・・・ふたりがどういう風に寄生されたかはわかってるのか?」

「・・・・ああ。あくまで推測だがな」

隼人は、スティンガーとコーエンか辜Cンベーダーを伝染させられたと考えていた。

あのミチルを喪った日、研究所にあのふたりが来ていたのだ。

一般にインベーダーの潜伏期間は短いと考えられている。

早乙女博士のように精神力で抑え込めたのは異例中の異例だ。

「ふたりの寄生の有無を調べて、スティンガー博士とコーエン博士を抹殺する。これで当面の危機は去るはずだ」

「おう!」

「そしてインベーダーに対するウイルスを作ろうと思っている」

敵に宣戦布告をする将軍のように、凛と隼人の双眸が研がれた。

インベーダーは過度のゲッター線で抹消するか、物理的に再生不可能まで叩き潰すかしかない。

だが所詮インベーダーが『生物』である以上、『毒』は存在するはずだ。

今まで_いや、未来でもそれらの研究は行われていた。

しかしながら今までにそれを決定打には出来なかったのには理由がある。

やつらは進化するモンスターだ。

だからどんどん免疫作用も発達していく。

どのようなウイルスにもすぐに耐性を作ってしまうのだ。

竜馬も当然そのことを知っていた。

「・・・・・あてがあるんだな?」

「ああ。やつらのオリジナルがあれば活性構造にタナトスを植えつけることが出来る」

無数に枝分かれした系図の幹。

それさえ断つことが出来れば。

だがそんな説明では竜馬は納得しなかった。

「でもそれはどこにあるんだよ?」

「それがスティンガーとコーエンの可能性が高い」

実を言うとそれは明確な根拠があるわけではなかった。

だが最終決戦での連中の口ぶりからそう判断する。

しかしながら隼人は自分の勘を疑ってはいなかった。

彼は第六感に優れている。

竜馬が直感力に秀でているならば、隼人は予感する_わからないはずのことが少しだけわかる力を持っていた。

そのことを隼人自身は本能的に悟っている。

連日の激務のために少し皺が目立ってきている白衣の裾が優雅に靡いた。

「あのふたりから細胞を採取して活性構造の配列と活性部位の形を調べる。それで俺はウイルス作りだす」

おそらくコーエンとスティンガーが寄生されたのは月面戦争中、または後の月だ。

あの戦争が終わって今いる時間軸まではおよそ四ヶ月。

潜伏期間としては長いが、奴らが明確な意思を持って行動できるほどの知能を有していた点を考えると可能性が高いだろう。

「・・まあ、お前が出来るってんなら出来るんだろうな」

ゆっくりと歩き出しながら、竜馬はしかつめらしく頷いてみせた。

よれた寝巻き代わりのTシャツをひっぱり、気合を入れるように息を吐く。

「こりゃ忙しくなるぜ。ところで真ゲッターはもう完成してるのかね?」

「ああ。博士に確認したらもうほとんど完成しているそうだ」

楽しげに尋ねてくる竜馬に隼人は少し前の出来事を思い出して苦笑した。

おそらくその脳裏には尊敬する賢人が驚愕した様が浮かんでいるのだろう。

「なんでそのことを知っているのかと散々驚かれたよ。言い訳するのに苦労した」

「だよな〜」

初めて披露された時も隼人はその存在を知らなかったのだ。

相当内密に進められていたのだろう。

そこでふと気付く。

「真ドラゴンはどうなんだ?號は?」

このふたつには隼人も深く関わっている。

むしろ創造者のひとりと言っていいだろう。

コーエンとスティンガーと戦うなら並みの戦力ではどうにもならない。

まだあそこまでは行っていないだろうが、最後の戦いでは惑星規模の力を有していたのだ。

こちらも戦力増強に尽力しなければ。

だが隼人はその当然の問いかけに何も答えず、速くも遅くもないスピードで階段を上り始める。

気のせいか故意に表情を消しているように見えた。

竜馬は不審に思いつつその横に並ぶ。

「隼人?」

「號は生み出さない」 

躊躇なく、いや、散々躊躇した後割り切ったような台詞だった。

思わず足を止める戦友に、隼人は繰り返す。

今度はしっかりと相手の眼を見て、きっぱりと断言した。

「ドラゴンも・・號も生み出さない。博士にもそう進言するつもりだ」

「・・・・・・・・どういうことだ?」

「そのままの意味だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・何か理由があるんだな?」

竜馬は普段見せないほど真剣にそう聞いた。

てっきり感情的に詰問されるとvっていた隼人は、僅かに意外そうに片方の眉を上げる。

どうやら彼の親友は今回の一件で、相手の言葉に隠れたものを読み取る重要性に気付いたらしい。

長身の青年は階段の踊り場まで上ると、そのまま手すりに体重を預ける。

「時期と時間の問題だ。そもそもドラゴンと號を生み出すきっかけとなったのはミチルさんの死であり、 俺達はそれを防ぐために動く。それにあれを作ってまたインベーダーにとられるはめになったらなおさら面倒になる」

それにそのことに時間を割いている暇はない。

わざわざ向こうが欲しがるものを作ってやる必要もないだろう。

言外にそう言っているようだった。

しかしそれはどこか苦しい言い訳だ。

もっともらしく言ってはいるが、竜馬は誤魔化されない。

「それだけじゃねぇだろ?はっきり言え」

隼人は合理主義だが、それは必ず何かを慮っての考えによって成り立っている。

いつだって非情ぶろうとするが、なんの理由もなく判断など下さない男なのだ。

「・・・・人造生命体はおいそれと生み出していいものじゃない」

苦味を帯びたため息が漏れる。

竜馬は声を荒げて訊いた。

「だけど生まれてくる奴を故意に生まれなかったことにしていいのかよ?!俺達はそいつを知ってるんだぜ?!」

それも戦場で戦友として知っている。

実質一緒にいた時間は決して長くはなかったが、それでも確かに號を知っているのだ。

これではある意味殺すも同然ではないか。

「・・・・・・・・」

隼人は無言で拳を作る。

そして骨が軋むほど強く握り締めた。

爪がめり込み、白い皮膚から鮮血が滲み出す。

「お、おい」

「お前は一度で成功したと思っているのか?」 

「?」

「俺と博士が號を生み出すのに、なんの犠牲も払わなかったと思うか?」

「・・・・なんだと?」

それはどういう意味なのだろうか?

竜馬は思い浮かばず、戦友の顔と手を交互に見やった。

ぽたぽたと真紅の雫が床に散る。

隼人はそれに目を落としながら、囁くように声を吐いた。

「19人目だ」

「?」

「あいつは19人目だったんだよ。そして唯一の成功例だ」

「!!!」

竜馬は愕然として、親友の顔を見る。

美丈夫は鋭利な眼差しを伏せ、微かに眉を寄せた。

その顔は心なしか青い。

「それが・・・お前らの『罪』の正体か」

「ああ」

複雑な感情を宿した問いかけに、隼人は痛みに呻くように認めた。

早乙女博士が幾度も口にした『罪』。

18人。

『號』だけでも18人の犠牲が出たのだ。

それだけの命が完全な形になることができず、死んでいった。

いや、その中には人とすら言えない形状の者もいた。

知能を持たない者も、言葉を解す者もいた。

『殺してくれ』と。

そう乞われたこともあったのだ。

隼人の頭が胸板に沈み込まんばかりに垂れる。

弄んだわけではない。

好き好んで出した犠牲でもない。

だがそれは所詮造物主を気取る者の欺瞞であり、思い上がりだ。

「あの段階での完成は一種の奇跡だ。だが未来がわかっていたとしても、いや、わかっているからこそ俺は繰り返したくない」

確かに號の遺伝子混合の配列は頭の中にある。

だがまた成功するとは限らない。

遺伝子というのは本来人間が触れてはいけない『設計図』だ。

必要なものを与えればその通りのものが出来るような単純なものではない。

自分達は未来を変えようとしているのだ。

おそらくもう二度と『彼』を生み出すことは出来ない。

もし、再び多数の犠牲の上に『號』を生み出したとしても、それは自分達の知る『號』にはなりえないのだ。

「・・・・・・・・・・」

その血を吐くような告白に、竜馬は何も言わなかった。

何も言えなかった。

『なんで黙っていた!?』と胸倉掴むことは簡単だ。

だがそれをしたところでどうにもならないことはわかっている。

必要悪。

その一言で片付けられることではないが、そういうことなのだろう。

だがそれは有象無象の科学者のように大義名分として掲げ、己の好奇心を満たすものではなく、本当に心の底から未来を憂えての行為だった。

良心の呵責を抑え込み、彼らは目的のために進んだ。

それがどれほど痛苦に満ちていたか想像に難くない。

そのことを一言も漏らさなかったことが、ひどく腹立たしかった。

すごく腹が立ったが・・・すぐにため息をついて前髪を掻き乱す。

どうやら自分は相当お人よしに思われていて、気を使われていたらしい。

竜馬も綺麗事で解決できないことが無数に存在することくらいわかりきっているし、いざとなれば非情な決断を下す覚悟もある。

しかしその犠牲のことを忘れるというわけではない。

そのことを知っていたからこそ、ふたりともあえてそのことを伝えなかったのだろう。

『罪』を背負うのは自分達だけでいいと思っていたのかもしれない。

「お前・・・・・・本当に號を生み出さないつもりなのかよ?」

正直酷だと思ったが、再び同じことを尋ねる。

だがそう言ってはみたものの、竜馬自身どう答えて欲しいのかわからなかった。

「・・・・ああ」

隼人は重々しく頷いてみせた。

それによってまた歴史は大きく変わることになるだろう。

そしてそれが原因で人が死ぬかもしれない。

だがそれでも少しでも犠牲は少なくしたかった。

せめて自分の手の届く範囲だけでも。

そこまで考えて隼人は自嘲的に笑う。

(つまりは自分の手を汚したくないだけか)

またあんな苦い想いをしたくないから、それに手を触れようとしない。

そして都合よく未来を変えようとしている。

ひどく傲慢な考えだ。

握り込まれた拳から零れる血潮の量が増す。

それにさっとごつごつした手が触れてきて、やや乱雑に指をほぐした。

そこでようやく痛みに気づいたのか、隼人の顔が微かに強張る。

竜馬はそれを睨むように、

「やめろ」

「・・・・・・」

「こんなことしてもどうにもなんねぇだろうが」

「・・・・・・・」

その指摘に隼人はややばつ悪そうに顔を顰めた。

竜馬は黙って手に付いた友人の血をズボンで拭う。

そして驚くほど高い天井を仰いだ。

ふたりの間になんとも言えない沈黙が横たわる。

静寂を破ったのは竜馬の謝罪だった。

「・・・・悪かった」

「・・・・・・・」

「直接的に関わってねぇ俺が・・・どうこう言う問題じゃなかったな」

號を殺すというならどんなことをしても止める。

だがこの世界には自分たちの知る『號』はもうすでにいないのだ。

ならば犠牲はない方が良いに決まっている。

愚問だったと少し凹むが、若き天才は口元を歪めて首を振った。

硬い手のひらの真紅の破れを見ながら告げる。

「・・・いや、お前の言うことはもっともだ」

「・・・・・・・・・・」

「だが俺は考えを変えるつもりはない。俺はもう犠牲を出さない。なんと罵られようが・・な」

「・・・・・・・・・・ああ」

竜馬ももう反対するつもりはない。

だがそこでふと気になることが出てきた。

「・・待てよ。そうなりゃ俺たちが会った號はどうなるんだ?消えちまうのか?!」

そうなれば話が変わってくる。

そもそも未来を変えるのはいいが、未来での戦いはどうなってしまうのだろう。

自分達の記憶も消えてしまうのだろうか?

当然の危惧だったが、予想外に返ってきた答えは明瞭だった。

「それはない。俺達が今いる世界と今まで俺達がいた世界は別だ」

「ああ?」

「パラレルワールドは知っているだろう?」

また知らない専門用語が出てきた。

明らかにわかっていない竜馬の様子を見て取って、隼人はちょっと驚いたように首を傾げる。

「お前はSF読まないのか?」

「うるせぇよ」

一般人が一番本を読むだろう子供時代は修行三昧、さらにそれが終わりかけた頃にはゲッターに乗って戦場を駆け回っていたのだ。

まともに読んだことがあるのは、元気ちゃんにねだられて読んでやった『桃太郎』などの童話の類くらいである。

「パラレルワールドというのは『平行世界』、つまり今いる世界に近いが違う、枝葉の如く分岐した別世界のことだ。これはさっき話したタイムパラドクスとも深く関連している。例えば俺があの重陽子爆弾で死んだ世界もある。だが俺がこうして未来から過去へ飛んだ世界も存在している。お互いは独立しているが非常に酷似した世界。そんな世界が無数にあるとされている。それがパラレルワールドだ」

「あ〜・・・・つまり・・・・一言で説明すると?」

「こっちはこっち、あっちはあっちだ」

「な驍ルど」

その極端なまでに絞られた説明で納得したのか、竜馬は少しほっとしたようだった。

隼人としてはこんな簡単な解説でいいのだろうかと少し不満だったが、質問者が納得したのだからいいだろう。

少しだけ笑って血だらけの手を見つめた。

「・・・つまりはここの世界でミチルさんを助けても、俺達がいた世界では何も変わらないんだ。だからこれは一種の自己満足なんだろうな」

「別にいいじゃねぇか。この世界を変えられるなら。何も変わらないよりはずっと」

その台詞に美貌の青年の顔が弾かれたように親友の顔を見た。

信じられないものを見るように、何度も目を瞬かせる。

隼人はそうしてしばらく戦友の横顔を見つめていたが、ふと長い睫毛を伏せた。

「・・・・・・・・・・そうだな」

ようやく出てきたのはそんなありふれた同意だった。

だが、そこには羨望にも似た想いが燻っている。

どうしてこの男はこうも簡単に。

「・・・・・お前は本当にすごい奴だよ」

「なんだよ、いきなり」

唐突に自分を褒めだした友人に竜馬は驚いて半歩下がった。

いや、これは単純に気味悪がっているのかもしれない。

隼人が人を率直に褒めるなんてそうそうないのだから。

「別に。そう思ったからそう言っただけだ」

「・・・なんかひっかかる言い方だけど。ま、当然ちゃあ当然だな。俺は流竜馬様だぜ」

「おお、これからもその調子でいけ竜馬様」

「うわっ!気持ちわりぃ!」

大げさに身震いしてみせると、隼人が小さく声をあげて笑った。

柄にもない本当に楽しそうな、子供のような笑い方だ。

つられるようにして竜馬もくつくつと喉を鳴らす。

そうしてふたりで一通り笑った後、竜馬は笑いをおさめて、

「・・・向こうであいつ元気にやってるかね?」

なんでもないふうを装って、軽い口調で尋ねる。

それに隼人ははっきりと請け負ってみせた。

「あっちには渓も凱もいる。・・きっと生き抜いてくれるさ」

「・・・・・そうだよな」

信じよう。

一度は戦場を共にした仲間達を。

それに何故だか竜馬はまた会えるような気がしていた。

別に根拠も確信もない。

だが漠然と、またどこかで会えることを予感している。

それはきっと、これから変わる未来でだ。

「よし。じゃあこれからお前が医務室行ってから行動開始だな」

歩き出した隼人を追い越すようにして、階段を駆け足で上りながら竜馬は気合を入れるように声を大きくした。

明確な時間制限がないぶん急ぐに越したことはないだろう。

それに言われた方はすぐさまその横に続いて難色を示す。

「時間がもったいない。この程度の怪我ならそこらにある救急セットで十分だ」

「んなわけねぇだろうが。絶対顔に罅入ったぞ。そんな感触だった」

「罅なら別に何もすることないだろう。適当に冷やす」

「なんでお前そんなに医務室嫌いなんだよ。それに手の怪我はどうすんだ。まだ出てるぞ血」

「適当に包帯巻いてればすぐ止まる」

「診せろよ。深かったぞ、結構」

隼人の頭蓋骨すらも砕ける凄まじい握力と、流れ落ちるほどの出血量を考えるとけして浅くはないはずだ。

しかしその心配を長身の青年はすげなく一蹴する。

「医者でもないお前に見せて何になるんだ」

「あー可愛くねぇな」

「同い年の男に可愛く見られても気持ち悪いだけだろうが」

軽口を叩きあいながらも、ふたりは全くペースを落とさず息を切らすこともなく、長すぎると所員に評判が悪い階段を上っていた。

隼人の医務室嫌いは今に始まったことではない。

意識不明などで問答無用に担ぎ込まれた時は別だが、その他ではどんなに怪我をしようと行きたがらなかった。

竜馬の眉がこれ以上なく不機嫌そうに寄る。

「ガキじゃあるめぇし、なんで医務室嫌いなんだよ。まさかその年で注射が恐いとか言うんじゃねぇだろうな?」

「バカを言うな。なんで俺が針に刺される程度の痛みを恐がらなきゃいけないんだ?」

「じゃあ医務室行けよ」

「嫌だ」

「行けって!」

「しつこいぞ」

「お前がだだこねなきゃこんなに何度も言わねぇよ!」

「ならさっさと潔く諦めろ。この程度の傷でがたがた抜かすな」

「『小さな傷でも化膿したら大変なことになる』って言ってたのはどこのどちら様でした?」

「消毒しないとは言っていない」

「だーー。やってもらえって言ってんだよ!」

そんな少しも発展しないくだらないじゃれあいを続けながら、八割がたのぼったところで人の気配があることに気付く。

眼下に広がる格納庫にではなく、自分達の頭上。

隠れているわけでもなく、ぽつんと小さな気配がある。

こんな真夜中に誰が?

整備担当者にしては不自然だ。

警戒しつつもふたりは別に会話を止めようとはしなかった。

それは己の実力からくる余裕だったが、今隣にいる相棒が一緒ならば何が来ようと問題ないという安心ゆえでもあった。

そうしていると気配の方からこちらにすごい勢いで近づいてくるのがわかる。

階段を駆け下りるよく響く音がどんどん迫ってきた。

何事かと足を止めると、その直後に

「隼人君!!」

涼やかな風のような声が響く。

その声の主を認識した瞬間、隼人の思考が一瞬完全に停止した。

「・・・・・・・ミチルさん?」

ようやく音声化出来た声は驚くほど掠れている。

そこには隼人の記憶の中と寸分たがわぬ女性が佇んでいた。

黒真珠のようなアーモンド形の瞳。

短くまとめられた黒髪。

きりりとした柳眉が微かに逆立ち不機嫌を表現して見せている。

ミニスカートから伸びたぷくりとバランスよく肉がついた脚が仁王立ちをした。

「隼人君、お父さんが心配してたのよ?!ずっとまともに寝てないのに寝ようとしないで変なこと聞いて急にいなくなったっていうし!・・・・・・どうしたのよ、そのほっぺ」

ミチルは今まで勢いよく話していたのに、隼人の頬の怪我を見るや急に声を曇らせ歩み寄った。

そして長身の青年が手からも血を流していることに気付く。

すぐさまポケットからティッシュを取り出すと、どう説明すべきかと困っている竜馬をよそに丁寧に傷口の周囲を拭った。

隼人は放心したようにされるままになっている。

「・・・何があったの?」

今度は隼人にではなく竜馬への問いだ。

というか言わなくても頬の傷は竜馬がやったことはわかっているらしく、その声には有無を言わせない雰囲気がある。

むしろそれは説明しないと許さないという脅迫めいた威圧だ。

そのあまりの迫力に歴戦の戦士は怯んでしまった。

「いや・・・・その・・・」

「リョウ君は怪我してないわよね?なのになんで隼人君だけこんな怪我してるの?ううん、手の傷は自分でやったのはわかってるわよ。ただ問題は顔にばっちり残ってる拳の跡。なんでこうなったの?」

矢継ぎ早に質問をぶつけながら、ふたりの顔を睨むように見比べる。

彼女だって別に暴力がいけないなどという、世間知らずの夢想主義者のようなことを言いたいわけではない。

むしろこのふたりの間で暴力沙汰は珍しくないのだ。

隼人の時間がある時はふたりで訓練室にこもって半日以上どつきあったこともある。

ただそれによって怪我をしたことはそれほどなかった。

彼らの実力は拮抗している。

能力的な比較をすれば、竜馬はパワー、隼人はスピードが相手より上だったが実戦となればその戦闘能力は同等だった。

だから相手が怪我をすれば自分も似たような程度のダメージを負い、決着はつかないのが常だったのだ。

だが今は隼人だけが白い顔にひどい痣を残して、その上自らをを傷つけている事態である。

長身の青年の方は胸元がよれているが、竜馬に着衣の乱れはない。

喧嘩、というには様子がおかしかった。

どうしてこんなことになったのか?

隼人はその問いに何も答えられなかった。

いや、そもそもその言葉すら彼の耳に届いていたかどうか怪しい。

ただ目から溢れそうになるものを必死に抑え込んでいた。

口の中に塩気を帯びた味が広がる。

十六年間

けしてまぶたからはなれたことのない姿が目の前にある。

記憶と寸分たがわない姿が。

生きている。

彼女は生きている。

この世界で。

生きていてくれた。

「・・・・・・・隼人君?」

青年が涙ぐんでいることに気付いたのだろう。

ミチルは小首を傾げて痛ましい傷跡が残る面差しを見上げた。

「どうしたの?__!」

可憐な少女から利発な女性へと代名詞が切り替わって日が浅い女性の問いかけは中途で摘み取られた。

糸が切れるように、隼人がミチルを抱きしめたのだ。

華奢な肩に顔を埋めるようにして、その存在を確かめる。

「は、隼人君?!」

「・・・・た」

「え?」

「逢いたかった」

愛らしい顔を真っ赤にして慌てふためくミチルをよそに、そんなかすれ声が流れた。

泣きに泣いて、枯れてしまったような渇いた声だ。

「すごく・・・逢いたかった」

「・・・・・・・・・隼人君」

告白ともとれる隼人の言動に、ミチルはますます赤くなる。

健康的な顔色が今ではリンゴのようだ。

確かにこの数週間スケジュールの食い違いやらでほとんど顔を合わせることがなかった。

おそらく隼人はそのことを言っているのだろうと、勝手に解釈する。

冷静沈着な彼がこんなことを言ってくるなんて。

それに考えてみれば父親以外の異性に抱きしめられたのは初めてだ。

艶やかな黒髪が目の前で微かに震えている。

ことさら抱きしめられていることを意識すると、ミチルの胸が五月蝿いほどの早鐘を打ち鳴らし始めた。

その背後で竜馬は困っていた。

(俺のことは・・・・忘れられてるんだろうな〜)

というか絶対。

間違いなく竜馬のことなんて眼中にないだろう。

完全に『二人の世界』ってやつである。

まあ、それも仕方がないだろう。

誰だって引き裂かれた愛する恋人と十六年ぶりの再会を果たせば、抱擁のひとつでもしたくなるのは当然だ。

ただそれをやったのが素直じゃない男代表の隼人なことに意外性を感じただけで。

あと気になるのは『今』はまだふたりは恋人関係じゃなかったはずだということだ。

(・・・・・・んーまー。ミチルさんも嫌じゃなさそうだし問題ねぇよな)

むしろ盛大に照れてはいるが、戸惑いながらも嬉しそうな気配が伝わってくる。

きっとこの時点でもうすでにミチルも隼人のことが好きだったのだろう。

話が予定より早く進んだだけだ。

むしろ展開が早まってよかったと言えるだろう。

その方が協力を仰ぎやすいし、隼人も安心してやらなければいけないことに取り組める。

大切な仲間と無二の親友が結ばれるというのはとても喜ばしいことだ。

それに何よりこの後どんな反応をするのか、ものすごく楽しみだった。

というわけでこれといって止める動機がない。

勝手にそう自己完結した竜馬は、野暮なつっこみを入れることなく大人しく待った。

見るとミチルも隼人の背に手を回したところだ。

じっと見ているのもなんなので微妙に明後日の方角を見ながら、高すぎる天井のを眺めて時が過ごす。

待つこと数分。

息を吸い損ねたような奇妙な音が発生した。

どうやらようやく隼人が自分を取り戻したらしい。

「・・・・・・・・・・・あ」

呆然とした呟きが、薄い口唇から零れた。

きょとんと目を丸くしているミチルと彼女の背に回した自分の手を交互に見つめ、激しく動揺する。

同性に怨みを買いかねないほどもてるにも関わらず、常に紳士な態度を崩さない彼にとって女性にいきなり抱きつくなど論外な行動である。

冷静沈着な元司令官は半ばパニックに陥るように、完全に狼狽していた。

「い、いや。ミチルさん、・・すいません」

どもりながら謝罪し、無機質なほど白い顔を真っ赤にする。

(人間の肌ってすげぇ色変わるんだな)

色鮮やかに変化した美貌に対して、竜馬がそんなどうでもいいことで感心していることなど当然わからない。

いっそ可愛らしいと形容しても問題ないほど慌てふためくと、掌が触れないように(変なところで冷静だ)ミチルの体を急いで離した。

本人としては穴があったら入りたいの心境なのだろう。

自分の怪我ですら冷静に観察出来る目が所在無く漂っている。

それとは対照的にミチルは落ち着いていた。

可愛らしい口元には嬉しげな笑みすら浮かんでいる。

しかし隼人にはそれに気付く余裕すらなかった。

彼女の唇から言葉が帰ってくる前に、なんとか混乱を沈静化させる。

そしてどうにかもつれる舌を懸命に動かしながら、本来言うべきだった用件を言った。

「あの・・・こんな時間にすいませんが・・・・どうしても話したいことがあるんです。これから俺達と一緒に博士のところ行ってくれませんか?」

「・・・・・・え?」

ミチルの愛らしい双眸が真円を描く。

そしてみるみるうちに項に血色を上らせた。

「・・・・・・・・・ええ

小声でそう了解して、両手で熱くなった頬を覆う。

彼女にはおそらく『俺達』の『達』が聞こえていない。

竜馬は隼人が今の台詞をどういう意図で言ったのかも、ミチルがどういうふうに受け取ったのかも即座に理解し、もちろん訂正しなかった。

 

 

竜馬は今まで鍛錬を怠ったことはない。

強靭な体の維持は戦士としての最低限の義務だからだ。

その日々の研鑽によって練り上げられた筋肉は、敵を砕く凶器にもなれば何よりも硬い盾にもなる。

そして現在、竜馬はその鍛え抜かれた腹筋を総動員していた。

少しでも気を抜けば大変なことになる。

「・・・・・・・・っ・・・・やべっ・・腹筋切れる」

「リョウ。その嫌な笑い方やめろ」

制限なく表情筋を緩ませている竜馬に、隼人は低い声で釘を刺した。

自分の失態は自身が一番身に沁みているため、どうにも口調が弱い。

頬が紅潮を留めているため、打撲の上に張られたコラーゲンシールが映えて見える。

ここは医療区画の検査室。

そこでふたりは博士とミチルの検査の様子を観覧廊下から見おろしていた。

その手には無理矢理小型化した劣化ゲッター線銃。

考えたくもない可能性だが、もしふたりからインベーダーが出てきた場合に備えたものだ。

こんな夜中にいきなりたたき起こされた担当者達は、疲れを見せながらもしっかり職務をこなしている。

どうやら今のところは異常はないらしい。

このまま何もなく検査が終わってくれれば、目指す未来への第一歩だ。

「良かった。ふたりとも寄生はないようだな」

「いや〜珍しいもの見せてもらったぜ」

せっかく話を本筋に戻そうとしているのに、竜馬は笑いを無理矢理おさめながら、そう嘯いてみせた。

照れる隼人など以前のプロポーズ前に見たっきりだ。

これから未来を変えるというとんでもないことをやろうとしているのにのん気なことこの上ないが、こんな時に親友をからかって遊べるのが竜馬のすごいところである。

「お前が意外に大胆なことがわかった」

「黙れ」

声に凄みをきかせながら、隼人は肩を竦めた。

ここで悪ノリを許していたらこれからずっと言い続けられる。

「言いふらすなよ」

「信用ねぇな」

「してるさ。だからお前が放っておいたら絶対に言いふらすと確信している」

それは信用と呼ぶのか。

だが口止めすれば言わないと思っているのだから、確かに信頼していると言えるのかもしれない。

かなり真剣な隼人に、竜馬は意地悪く口の端を持ち上げる。

「あ〜。写真とっとくんだった」

「・・・・・・・・・・」

いつまでもこのネタでからかい倒す気でいる親友に、稀代の天才は辟易として階下に視線を戻す。

その整いすぎた横顔はもう勝手にしろと雄弁に語っていた。

 

※※※

 

「隼人!どこに行っていたんだ!?」

所長室に戻っていた早乙女博士は、入ってきた青年に向かって大声を出した。

それも無理もないだろう。

頭脳明晰な助手がいきなりわけのわからない質問をして、部屋を飛び出していけば誰でも心配する。

しかも顔は明らかに殴られた痣があるし、さりげなく視界に入った手は赤く染まっていた。

「・・・・・・何があったんだ?」

この短時間で。

小柄な自分よりもはるかに高いところにある顔を見上げて、早乙女博士は太い眉をはの字にする。

そして彼と一緒に入ってきた竜馬とミチルを見た。

当然とも言える無言の問いかけに、竜馬は微妙な顔で半笑いになり、ミチルはふっくらとした口唇を尖らせて『こちらが聞きたい』という態度を示した。

隼人は身を案じてくれている父親代わりに穏やかな微笑みを返す。

「ご心配おかけしたようですいません。これはなんでもありませんから」

「・・・・座りなさい」

博士は半ば命じるようにソファを勧めると、ごちゃごちゃと資料が詰まった棚を開け、奥の方から救急箱を取り出した。

それに薄く積もった埃を払い、遠慮しようとする怪我人に有無を言わせずに無造作な手当てをする。

過去の経験からこの青年に医務室に行くように言っても無駄だと判断したらしい。

普段はこのようなことはミチルにやらせるのだが、それほど今は隼人が心配だということなのだろう。

そのことがわかったのか、隼人は大人しく大雑把な治療を受けていた。

「博士、大事な話があるんです」

博士の手が止まったのを見計らって、小さく礼を言った後に隼人はそう切り出した。

いつでも落ち着きを失わない豊かな声が、今は緊張に固くなっている。

心なしかその顔も強張っているようだった。

「とても大事なことです。聞いてください」

ここが正念場だ。

隼人はなおさら気を引き締めて、正面にある博士の顔を見つめた。

彼は信じてくれるだろうか?

自分達が未来から来たことを。

信じられないのが普通だ。

いきなり『未来から来て、未来がわかるから体を検査してくれ』などを言って信じる人間はそうはいない。

竜馬には信じてもらえなくても構わないと言ったが、出来るなら信じて欲しいのが真情だ。

本人達の協力なしに守るというのは難しい。

ただでさえ敵は人間ではなく、強大なのだ。

口がうまいことは自負していたが、この場合は舌先三寸で丸め込むなどしたくなかった。

どうにかして証明してみせなくてはいけないだろう。

こういう時だけは、自分の異常な記憶能力が頼みに綱だった。

それも変わっていく未来で役に立つかどうかわからないが・・・。

珍しく言葉を選ぶ様子を見せる隼人を、早乙女博士は注目していたが急に得心したように頷いた。

「言わなくてもお前が言いたいことはわかる。ミチルのことだろう?」

「え?」

まさかもうすでに体に寄生の兆候が現れているのだろうか?

ひやりと背中に嫌な汗が伝う。

「・・・・・・まさか・・・・博士」

「ああ」

「・・・・そんな」

気持ちを顔に出さないようにしたというより、咄嗟になんの表情も出来なかった。

そして内心で盛大に舌打ちしたい衝動に駆られる。

まさかこの段階で寄生されていたとは。

まず頭に浮かんだのは一時的に生命活動を休止する手段だった。

冷凍催眠装置は以前に研究したことがあった。

戦場で怪我などの悪化を止められれば、生存確率は跳ね上がる。

結局月面戦争時は完成までこぎつけなかったが、今なら作れるはずだ。

それでインベーダーの活動を止めることが出来ればふたりを助けられる。

一瞬のうちにそこまで考えをまとめ、次の言葉を継ごうとすると

「わしが反対するはずはないだろう。むしろいつ言ってくれるかとやきもきしていた」

「・・はい?」

込み上げてきた焦燥感は続いた言葉に霧散した。

博士は隼人の手を柔らかく握り、大きく頷く。

「知っていたよ。なんとなくだがな」

「え」

「わしにとっては君は昔から息子同然だった。こんなじゃじゃ馬を選んでくれて嬉しい。心から祝福するよ。おめでとう!」

「お父さん!」

ミチルが気持ちを溢れさせるような歓声をあげた。

隼人はその段階になってなんだか話がずれていることに気付く。

どう考えても今の雰囲気は地球外生命体にとりつかれていることで悲観しているようには見えない。

いつでもまわりの状況を把握し、視野の広さも並みではない隼人だが、こと自分の色恋に関してはそれほど経験豊富ではなかった。

むしろ生まれてこのかた愛したのはミチルただひとりだったのだ。

しかも今はただでさえ悪夢のような未来を変えられるか否かの瀬戸際である。

多少判断が鈍っても責められないだろう。

困惑しながら思わず背後を振り返ると、ミチルは頬を染めているし竜馬は・・・いない。

「ぶふっ!」

息が弾けたような音に反応して視線をずらすと、いつのまにか竜馬が部屋の端にうずくまっていた。

鍛え抜かれた肩を震わせ、必死に声を抑えている。

そこでようやく隼人は博士とミチルがどういうふうに勘違いしているのか理解した。

 

※※※

 

「よかったじゃねぇか。博士は結婚に賛成してくれたし」

「・・・・・ああ」

目に笑みを留めながらそう同意を求められ、隼人はしぶしぶ首肯する。

さらに言うなら未来から来たこともあっさりと信じてくれた。

当然ふたりとも自分達に待ち受ける運命に一様にショックを受けたようではあったが、確かに信じてくれたのだ。

だから今こうして検査を受けてもらっている。

それはすごく嬉しい。

これから変える未来への希望が繋がったと言ってもいい。

だがしかし

もう少しどうにかならなかったものだろうか。

「・・・・っぷ・・・・・ぷぷ」

「殴っていいか?」

「待て待て待て。そんな怒るなって」

目が据わり始めた隼人に、竜馬は慌ててとりなした。

楽しい時間はそろそろ潮時なのかもしれない。

まあこれ以上からかってへそを曲げられても困る。

だが最後にこんなことを言うのを忘れなかった。

「・・・お前ちょっと贅沢だぞ」

「何がだ?」

「今のところ全部順調じゃねぇか。それなのに文句つけるなんて『天才』隼人様らしくねぇぜ」

「結果に関しての文句なんてものはない。それにその呼び名はやめろ」

前半は拗ねたように、だが後半は吐き捨てるような声音だった。

隼人は自分が天才と評されることを嫌う。

ィそらくそれは竜馬達と別格視されることを疎んじているのだろう。

この青年は能力的に特別に見られることは慣れてはいたが、それを嬉しいと思ったことはあまりない。

その万能とも言える才能のせいで、長い間『生きられなかった』のだから。

「お前が絡んでこなければ俺は上機嫌なんだがな」

「貴重だろうが。お前が赤くなったり照れたり慌てたりするなんてよ」

「開き直る気か?」

「あ!」

親友の声が唸るように低くなったせいか、竜馬は誤魔化すように階下を指差した。

その指先を辿ると検査途中のミチルが笑顔で手を振っている。

思わず優しく微笑み返す隼人に竜馬はにんまりと意地悪く笑ったが、相手に気付かれたため慌てて引っ込めた。

「リョウ」

「ん?」

「守るぞ」

何をとも、誰をとも言わなかった。

しかしその言葉にこもった想いは、間にある全てを無にして直に心に響く。

竜馬はすぐに当然のごとく頷いた。

「たりめぇだ」

今度こそ守りぬく。

また失ってたまるものか。

そのために自分達は戻ってきたのだ。

この場所に。

もうそのことに疑いはなかった。

「?」

「どうした?」

隼人がふとドアに視線を向けると所員が足早に入ってきた。

その顔は別に緊迫しているようではなかったが、急いできたのか息があがっている。

今更ながら今は夜中だ。

一体どうしたというのか。

そうしているうちに若い所員は隼人の姿を見つけて、駆け寄ってくる。

「よかった。こちらだったんですか」

「どうかしたのか?」

型にはまった問いを返す。

確か彼は情報部の吉田だ。

何か火急の用向きでもあったのだろうか?

そう多少構えていると、驚くべき答えが戻ってきた。

「コーエン博士からご連絡が」

 

 

 

 

 

3に続く 

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

え〜と、號好きの方には納得のいかない設定だったでしょうね(苦笑)

原作どおりの設定では私は號を出しません。

前回は必要性があって避けられませんでしたが、隼人は本来自分以外の人間の犠牲をとことん避けようとする人だと思います。

だから過去に戻った時隼人は犠牲になった『號達』を繰り返さないようにすると思ったんですよ。

確実に一発で成功するってわかっているならまだしも、遺伝子工学はそんなに単純なものでもないですしね。

その遺伝子を持っていても発現しないことがあるというのは本当です。

だから両親のどちらにも似ていない子供というのが存在するんですよ。

ヒトゲノムは本当にすごい設計図ですから、本来人間がどうこうできるもんでもないのかもしれません。

でも彼はいますよ。

違った形ではありますが、間違いなくこの世界に生を受けます。

近々その話もアップ予定です。

隼人の医務室嫌いはマイ設定です。

いや、彼は基本的に誰か(仲間は除く)に体を触られたりするの嫌いだと思うんですよ。

原作小説では自分以外に信用してないと断言してますし。

それに自分にも医学知識あるから大抵自分でなんとかします。

にしても今回隼ミチ要素が強くなりましたね〜(笑)

いや、元々掲げてたから問題ないですけど。

私のイメージでは隼人とミチルの婚約はおそろしくとんとん拍子です。

というか周りがじゃんじゃん進めて、本人びっくりみたいな(笑)

博士も反対しないでしょう。

だって反対する理由ないもの。

むしろ大賛成じゃないかというのが私の見解です。

なんだか無駄に長くて中身がない(最低)文章になりましたが、これをかるらさんに贈ります。



            ------*----------*--------*-------





 ありがとうございます、ラグナロクさん。

 お待ちしている甲斐があるというものです!!


 ミチルさんといると、隼人が普通の青年になるのが微笑ましいです。

 時を遡るということは、得るものも大きいけれど、失うものも多いと思います。
 
 リョウは、その重荷を共に背負ってくれるのですね。置いていかないで。

 続編が楽しみです。